前回、彼の家で流れないウンコ(バリウム)をしたことがきっかけで破局した話を書きました。
じつは私、人の家ではなぜか緊張するのか、出るものも出なかったりするので、普通にもよおしたというのは打ち解けてきた証拠だと思っていたのに、「つきあい始めてまだ日も浅いのに、人(彼)んちでウンコするとは何事だ!?」みたいな発言もあったので、あ~この人とは続かないな~と思ったのです。
連載「もっとウンコについて話そう!うんコラム 」
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私は友達との旅行でも、なるべくトイレを占有できるシングルに泊まりたいし、だからトイレ共同のドミトリーも無理。
すべてはウンコのため。
これだけウンコの話を日常的にしていて恥ずかしいわけではないのに、なぜそこだけプライバシーを守りたいのか自分でも分かりません。腸だけは気持ちと裏腹なのでしょうか。
よく行く家やお店、宿泊先などなど、長時間過ごす場所では「ウンコができるかどうか」が快適さ、ひいてはくつろげるかどうかのバロメーターだったりします。
学校や塾、友達の家や会社など、そこでウンコができるようになってはじめて、私のテリトリーとして体がみなしたのだと判断していました。これって、猫や犬のマーキングに似たような感覚なのかな?と思います。
なのでお店やホテルはいちどマーキングできると、その場所をリピートする傾向があります。(常連になる基準がトイレって…お店の人は知らないでしょうね)
あるとき、私の引っ越しを手伝ってくれていた男友達が家についてすぐにトイレを使い「ごめん。家主よりも先にウンコしちゃったかも」と正直に告白してくれたことがあり、なぜかキュンとしてしまいました。(だからって好きになったりはしませんでしたが。笑)
よし!これは良いセリフだ!と思った私は、友達の家に遊びに行ってウンコをすると(滅多にないことですが)「この家はくつろげるよ。居心地いいよ」と褒める意味をこめて「ごめん。ウンコしちゃった」と告げることにしています。
(だって言わなくても後で入った人にニオイで分かったりするほうがイヤだし…)
逆に、私の家に遊びに来た人が、トイレのあと「ウンコしたよ」と言ってくれたら、それは私の家がくつろげるという賛辞=仲良くなれた証拠だと受け止めることにしています。
ウンコは親愛の証。みなさんも正直に言ってみてはいかがでしょうか。
ライター お紙(おかみ)
広告制作会社にてコピーライターを経験したのちフリーランスに。広告や雑誌で企画、編集、ライターを担当。先祖代々、子どもの頃からの便秘体質のためいつもウンコのことばかり考えているうち、食べ物の重要さに目覚めマクロビオテックなどざまざまな料理を勉強。もともとの趣味であったインテリアや雑貨の蒐集も高じて、カフェを経営していたこともある。
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